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2002年7月

2002年7月11日 (木)

1週間先のこともわからないのに・・・

アメリカのネバタ砂漠に使用済み核燃料の貯蔵庫が出来るかもしれないと今日の新聞に出ていた。もし完成すると、高レベルの放射性廃棄物を25年かけて運んで、約100年間監視した後、長期保存するんだって。

高レベルの廃棄物ということは、きっと何万年も人体に危険な放射能が出るんだろうな・・・。

「この放射能の危険を、何万年もの先の人々にどうやって知らせるか?」という研究についてのドキュメンタリー番組を見たことがあるが、10年20年ならまだしも、ウン万年ともなると、まず、「その時に世界を支配している種が何なのか」を考えるところから始まるんだって!・・・この時点でもうボクの想像を超えている。スゴク楽観的に考えて、まだ人類が世界を支配しているとしても、今度は、その世界で通用している言語が何か分からない。じゃあデザインで「死の危険」を知らせればいいかというと、これがまた難しいんだって。たとえで「どくろマーク」が出てきたが、確かに「どくろマーク」なら死のイメージかなと思ったら、ある民族の間では「どくろのマーク」は「命の再生」をあらわしているんだそうだ。今現在でも「世界共通のマーク」を作れないのにウン万年後の事なんてと、研究者たちはかなり途方にくれているらしい。

2002年7月10日 (水)

マックから59円バーガー登場だって!

今日の新聞に「マックがハンバーガーを59円に値下げする」という記事が出ていた。

みんな、ハンバーガーが安いのはいいが、くれぐれもポテトには気をつけろよ!(・・・これは前々回の公演「外食王オムレット」を観たお客様にしか分からない。もちろんここでは教えない。)

この記事の他にも、博多座が3年目で持ち直したとか(去年は大変だったのだ!!)、中国のコピーバイクの話。あとタカラから「実際に大人が乗ることが出来るチョロQ」が発売になった記事など、今日の毎日新聞は経済面もおもしろかった。

この実際に乗ることが出来るチョロQは1人乗りで最高速度は50キロとのこと(ただし、運転には普通免許がいる)。「キューノ」という名前で1台129万円なんだって!・・・・うーん、このでっかいチョロQを買うぐらいなら、ボクならダイハツから発売になったコペン(久々のオープンカータイプの軽自動車)を買うなぁ。デザインを見て、もう一目惚れしたもんね。

でも、免許がないボクには関係ないか・・・。

2002年7月 9日 (火)

今日は「お汐井取り」の日

今日は昼に取材を受けてから博多人形講座へ。教室が櫛田神社の近くとあって、山笠ムード満点。今日は山笠の行事の1つ「お汐井取り」の日なので、「オッショイ、オッショイ」のにぎやかなかけ声を聞きながら博多人形を作る。

博多を満喫の、スゴク贅沢な2時間だった。

2002年7月 8日 (月)

いよいよクライマックスシーンへ

今ストーリーの中心を走っているエピソードが3つあるが、いよいよクライマックス場面なので、すべてを1つにするときがきた。でもこのまとめるのが大変。今回は上演時間1時間と決まっているので、もしかしたらどれかエピソードを削った方がいいのかもしれない。

しかし、あらためて読み返してみると、まるっきり新しい脚本になっているのでホント驚いてしまう。こんな事なら「バリバリ新作です!!」と告知しておけば良かった・・・。

2002年7月 7日 (日)

どこまでも、どこまでもスターウォーズと共に!

スターウォーズキャンペーンのくじを引きたくてコンビニへ。そうしたら、何と初めて引いたくじで「映画鑑賞券」が当たっちゃいましたよ!当たったよ!!やったー!!

中学の時に初めてスターウォーズを観て以来、ずっと好きな自分にご褒美をもらったようでスゴク嬉しい。ああ嬉しい!!

「イヤー、やっぱりボクとこの映画の間には何か縁があるんでしょうねえ~ねえ~」

と、稽古場でバリバリ自慢モードでしゃべってみたが、「あっそうですか・・・」と、簡単に話が終わってしまった。

もう!せっかくこれを励みに「脚本がんばろう」なんて思ってたのに!

2002年7月 6日 (土)

おいおい、どこまでやるつもりだ?

前々から脚本の書き直しを進めていることはこの日記でも書いてきたが、どんどんエスカレートして自分の気持ちが収拾つかなくなってきた。「書き手としての自分」は、「よし、このままどんどん書き直していっそ新作にしてしまえ!」と燃えているが、「プロデューサーとしての自分」は、「ちょっと待て!今回のスケジュールでは書き直している時間はないぞ」と燃え上がる火を消すのに必死。

とりあえず、まんまの脚本(一応上演できるように古いネタとかはカットしてある)を作って稽古場へ。1度読み合わせをして「実は書き直しの作業も進めているのだが・・・」と、新たに考えている作品の話をしたらみんなに大受けだった。

・・・そうだよな、今書こうとしているのって、自分でもスゴクおもしろいもんなあ。ただ、「プロデューサーとしての自分」は、「今回は再演って告知してるからいいじゃないか、せっかく新作が出来そうなら時間をしっかりとって次にやればいいじゃないの・・・」といい続けているんだよね。

でも稽古場でのみんなの喜ぶ顔を見たら「ああ、きっとお客さんもこうやって喜んでくれるに違いない」って、思っちゃったんだよなぁ。

2002年7月 5日 (金)

コラムの取材。今回は「博多包丁」について

この博多包丁というのは明治ぐらいから作られている鉄製包丁のこと。見事な切れ味で「野菜から魚まで何でも1本でOK」なので、別名「万能包丁」と言われている。今ではステンレスの包丁が主流なのですっかり数が減ってるが、昔っから博多で包丁といえばこの「博多包丁」のことだった。今回はこの博多包丁を作り続けて48年の大庭さんという鍛冶職人さんの所へ取材に行った。

むせるような暑さの中、ひたすらに鉄をたたく大庭さん。真っ赤に熱した鉄のかたまりをハンマーでひたすらたたいて形を仕上げていく。機械化がすすみ、今では100円ショップでも売っている包丁だが、ここで作られるのは、機械が作った工業製品の包丁なんかとはわけが違う。

「職人が1つ1つ鉄と会話をしながら作り上げていく芸術品なのだ!」

惚れ込んだボクは1本買うことに。(ちなみに一本7500円)ちゃんと使えば10年以上もつとのことなので、1年当たり750円でバリバリ切れる万能包丁が(しかも職人手作りの逸品)が手にはいるなら全然高くはない。少なくとも食玩お菓子を箱買いするよりは、いいかなと思う。

造形の仕事をしていていつも思うけど、何を作るにしても「いい道具があってこそ」なんだよね。今回の取材は、いい道具に出会えたのでスゴク嬉しい。

2002年7月 4日 (木)

妙な映画2本

今日も徹夜で脚本作業。朝方CS(ケーブルテレビ)をつけたら、何と朝の9時30分から超B級ゾンビ映画「バタリアン」を放送していた。「おいおい、朝からゾンビはあんまりなんじゃないの・・・。」と思いつつ、ダラダラ観てしまった。心の声は「何回も見た映画だし、今観なくてもいいだろうよ!」と叫び続けていたが、徹夜でグズグズな気分だったので惰性で観てしまったのだ。もちろん映画の最後はみんな死んでおしまい。おかげで、せっかく始まったばかりの1日なのに朝からイヤな気分100%。

まあ自分も徹夜で「起きてるんだか寝てるんだかよく分からない状態」だったので「死んでるのか生きているのか」というゾンビとは似たようなもんか・・・と妙に納得して寝る。

夜は松田優作の遺作となった「ブラックレイン」をテレビで放送していた。高倉健の声を別の声優が吹き替えしているのがスゴク妙な感じだった。(日本人が出演している外国映画をテレビで放送するときによくあることだよね)

今日は妙な映画を2本観てなんかモヤッとしている・・・まさか、風邪でも引いたのかな。

2002年7月 3日 (水)

どうしてなのか、理由を考えるが・・・

別に何かの宗教に入ってるわけではないので、それがどんな姿をしているのか分からないが、何となく「神様のようなもの」の存在を信じている。

そんなわけで、「人生は偶然の積み重ね」ではなくて、一見偶然に見える1つ1つの事柄には、ちゃんとその出来事が起きる理由がある・・・と信じている。(だから、6月19日の雨も「梅雨だし、偶然だよ」とは、とても考えられない。)

と言いつつも、映画や小説では神も仏もないような皮肉な話が大好きだったりするのだが・・・。ジョン・アービング原作の映画「ガープの世界 (1982/米)」なんか大好きだし(でも見終わった後には、いつもガープの人生の意味を考えてしまうのだが・・・)

実際に僕らが生きている世界には「なにがしかのルール」があると信じているボクにとって、ドイツで起きた飛行機事故は衝撃だった。ご褒美の旅行だったこと、本来乗るはずの飛行機じゃなかったこと・・・。

この運命にどんな理由があるのだろう 

2002年7月 2日 (火)

週に1度のお楽しみ

今日は博多人形講座の日。今日のテーマは先週に引き続き「顔を作る」。ひたすらに粘土でイメージを形にする。ぼんやりとしたイメージで粘土をいじっているうちに「これだ!」という形にたどり着けるのがすごく嬉しい。今日は「笑顔」をひたすらに追求した。人間が笑ったときに、ほっぺたの筋肉がどうなるかとか、目尻のしわとか、口の形とか・・・そのうちボクが作っていた顔は(表情を強調しすぎて)ものすごくでこぼこになっていた。隣の人が作っている顔と全然違うので、「あら、やりすぎたかな・・・」と自分でも思っていたら案の定「デホルメしすぎ」と博多人形師の先生からダメだしを受ける。イメージが形になるのが楽しくてつい調子に乗ってしまった。

「生み出す」と言うことでは粘土で形を作っていくのも、脚本を書くのも「同じ0からモノを生み出す作業」なんだろうけど・・・脚本がなかなか具体的な形にならない今日この頃のボクなので、「イヤでも形になっていく粘土での作業」が楽しくてしょうがない。 

大塚ムネトの不定期日記