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2004年4月

2004年4月20日 (火)

打ち合わせ続く&復活公演は、やはり11月

昨日に引き続き、局内の一室を借りて脚本ミーテイング。ディレクターと2人きりで延々と話し合う。かなり苦しい作業だが、このプロット作りをちゃんとやらないと、いざ脚本を書き出した時にすぐ行き詰まってしまう。あとの作業をスムーズにするためにも、今粘らないといけないのだ。

途中「嘉穂劇場の復活公演」について、劇場の伊藤さんに電話連絡。伊藤さんから「復活公演第2弾(第一弾はもちろんお馴染みの座長大会)として9月に出来ないだろうか」と打診されていたのだが、元々11月を予定して準備していたので、やはり出演予定者のスケジュールがあわなかった事を報告。当初の予定通り11月に公演する事に。 

2004年4月19日 (月)

ドラマ打ち合わせ&ギンギラの批評を読んで

午後から局で打ち合わせ。で、ひたすらプロットづくり。それから夜までぶっ続けでアイデアを話し合う。まさにカンヅメ状態。さすがに腹も減ったので屋台で「取材がてら」飲む。

今日は本当にこれだけで1日が終わってしまったので、最近読んだ「ギンギラに関する批評」の感想を書く。ボクが読んで思ったのは「またか・・」と「そんなことわかってるよ!」の2つ。

※「またか・・・」について 「演劇とは、こうでなければならない・・・」みたいな意識が強い方が書く文章は大体同じ。出だしで「エンターテインメントとしては楽しんだ。でも・・・」と言うところから始まって、そのあとは「その人が思う演劇との違い」に基づいてダメ出しが始まる。

これ勘弁して欲しい。だってこっちは「エンターテインメントです」と銘打って公演してるのに、何で「エンターテインメントとしては楽しめたが・・・」と文章が続くんだろう。

自動車を売る時に「車です」ってちゃんと断って売っているのに、「車としてはいいが空を飛ばないからいかん」なんてダメ出しする?看板に偽りがあって言われるならまだしも、看板には納得してるのに何で?

色んな舞台があるって楽しんでくれればいいのになぁ。

※「そんなことはわかってるよ!」について そもそもギンギラは「フリとオチ」だけのショートコントから始まった。時間も10分ぐらいだったかなぁ。で、ボクが作・演出になってから、少しずつ少しずつ、本当に小さい事からちょっとずつ演劇的要素を増やして「やっと今のスタイルにまでたどり着いている」。

6年近くかけてようやく今の表現にまでたどり着いているのだ。

ボクは日々「どうすればより演劇的な作品を観てもらえるだろうか・・・」と必死に悩みながら芝居を作り続けている。だから「もっと演劇的にしないと・・・」なんて書かれると「人の苦労も知らないで、そんなことわかってるよ!」って思うわけ。

今は、「自分がギンギラでやりたい事(作・演出としての思い)」と、「お客様が喜んでくれるだろう範囲」の最大公約数を必死に探っているところなのだ。

誤解しないで欲しいが、ボクは「意見を聞く」のは大切にしている。どうせ書くなら 「エンターテインメント」について書いてくれないだろうか。それだったらボクも色んな意見を聞いてみたい。「いつもと同じ切り口ばかり」だと、こっちだって「またか・・・そんなことわかってるよ、いま必死に頑張ってるんだよ!」って言いたくなるんだよね。

2004年4月18日 (日)

最終日

最終日の公演は「1回目が終わって30分後には2回目の開場」というあわただしいスケジュールだったので、何だか忙しいうちに最後の公演を迎えてしまった。「熊本も福岡と同じ5回公演だったので、10回やった事になるんだなぁ・・・」と、ちょっとだけ感傷にひたって本番に突入。声を嗄らしそうで心配な役者もいたが、無事みんなで最後の回をやり遂げる。

「あーあ、おわってしまったなぁ・・・」

きっとこの日記を読めばすぐにわかると思うけど、「きららでの役者の日々」は、嬉しすぎて浮かれてしまうぐらいに充実していた。池田さんをはじめきららのみんなとの稽古の日々は本当に楽しくためになった。

「スケジュールがあえばまたやりたいなぁ・・・」

とりあえず池田さんには「きららのスケジュールはボクにも連絡網でまわしてください」と本気でお願いしているので、きっとまた一緒にやれるハズだ。

2004年4月17日 (土)

2日目

「今回のように役者に集中している姿を見るのは、北九州以来です。」と書かれたアンケートがあった。確かに、北九州時代は同期の大福(現C4代表)や徳丸さん(劇団碧の演出・・・と書いても、もう15年ぐらい前の話なので知らない人が多いかなぁ)という演出家がいたので役者に集中出来ていた。

特に徳丸さんは、それはそれは厳しい演出をするので有名だった。ボクも恥ずかしながら、1回だけ稽古場から泣いて帰った事があるほど。でも、そうやって徳丸さんに鍛えてもらったおかげで今のボクがある。いわば徳丸さんはボクの芝居の恩師。

ただ本当に怖かったので、いまだに本番前になると「徳丸さんの前でセリフを忘れて焦っている夢」というのを見るんだよねぇ・・・と、アンケートを読みながらそんな事を思い出していた。

夜は飛ぶ劇の泊君と谷瀬が観に来てくれた。で、アンケートの話をしたら2人とも笑っていた。役者に集中していた頃を知っている2人が「面白かった」と言ってくれたのは素直に嬉しかったなぁ。まあ公演が終わった後のバタバタした時間だったのでそんなに長くは話せなかったが、泊君から面白そうな提案があり、「来年あたり実現したらいいねぇ」と、ちょっとだけまじめな話をする。

夜はごはん会。ギンギラときららのみんなでワイワイやる。それぞれが仲良く話している様子を見ながら「いずれ絶対に合同公演をするぞー!」と決意に燃えるボクだった。

2004年4月16日 (金)

初日

すでに熊本で上演している事もあって、最初は戸惑っていた「ソデに引っ込まずに、お客様の前にずっと居続ける」と言うのにもすっかり慣れてきた(今回初めて観る人は驚くかもしれないが、出番が終わった役者は舞台の横でずっと座っているのだ)。で、気持ちよく演じていたのだが、よりにもよってボクの場面で「思いっきり遅刻してきた集団」に遭遇。あやうくセリフをかみそうになってしまった、トホホ・・・。

ホント遅刻はナシで頼みます。今回の客席は前からのみの入場となっているので、遅れてくると「上演中の舞台を横切る事」になってしまう。これって役者だけでなく、観ているお客様の集中もとぎれてしまうので大迷惑。

明日は時間までに来て欲しいなぁ・・・明日のお客様に残業や急用が入らず、時間通り来れますように。

※おかげさまで、17(土)昼・夜、18(日)昼の前売り券は全て完売しています。あとは18(日)夕方16:00のみ販売中です。なお公演期間中の問い合わせは090-2079-2090(劇団きらら ジンエ)までお問い合わせ下さい。

2004年4月15日 (木)

いよいよ16日(金)から公演!&日曜昼は売り切れ

今日はぽんプラザで仕込み。お昼過ぎには舞台が完成したが、お馴染みのぽんプラザの空間が、だんだん「きらら独自の劇空間」に変わっていくのがとても面白い。「ああ、これから3日間、ここは「きらら専門劇場」になるのだなぁ」と実感する。

しかし、稽古をかさねた約3ヶ月間は充実した日々だった。

「普段、作・演出をしているから、口を出したくなるんじゃないの?」なんて思うかもしれないが、逆に作・演出を手がけるようになったからこそ、久しぶりに役者だけに専念出来ることが面白くてしようがなかった。ずっと「自分で自分を演出する」ことが続いていたボクにとって、演出家に出会えたのが本当に嬉しい。

これから3日間の5ステージでは、「作・演出の池田さんが生み出した世界の住人」として、しっかり生きたいと思う。

※おかげさまで日曜の昼は売り切れとなりました!当日券は出ますが、数に限りがあるので入場出来ない場合もあります。ご了承下さい。

2004年4月14日 (水)

色々進行中

昼に福岡へ戻る。そのまま天神の西鉄本社に行ってどんたくパレードの打ち合わせ。ギンギラで使っているかぶりモノをテーブルの真ん中に置いて、「パレード用かぶりモノ」のデザインを打ちあわせる。で、いくつかあるデザインパターンとお馴染みのバスのかぶりモノを比べながら「どれがいいと思いますか?」と西鉄の方に聞かれるボク。

「どれもなにも・・・本物バス軍団の皆さんですから・・・」と、恐縮してしまった。

そのあとは代理店でパレード打ち合わせの続き。当日のスケジュール、大まかな動きなどを決めていく。

いつも思うことだが、「勝手に始めた」ボクらを叱るでもなく、面白がってイベントを頼んでくるなんて、本当に地元の企業は懐が深いよなぁと嬉しくなってくる。

夜「ラジオドラマの企画が通った」との知らせが入る。今週は本番なので、来週月曜からシナリオ作りに入ることに。

2004年4月13日 (火)

実現か?

熊本3日目。昼からきららの事務所で自分の仕事をさせてもらう(先週から進めていたラジオドラマの話が実現しそうなのだ!)。福岡にいるディレクターと電話で打ち合わせをしながら、きららのパソコンを貸りてメールであらすじのやりとりをする。

ストーリーを詰めていく場合、お互い向き合って「うーん」と考える場合が多いが、今回は福岡と熊本なので、「電話で問題点を相談して、1時間ぐらい考えてメールであらすじを送り、しばらくして感想の電話がかかって来る」と言うやりかたで作業を進めた。こうやって距離があるのも「自分のペースが保てて」なかなかいい感じ。ケガの功名というヤツか。

夜は通し稽古。明日は積み込みで明後日は小屋入りなので、ボクの「熊本での稽古」は今日が最後となる。この稽古場とも今日でお別れかと思うと寂しい。

役者に専念して存分に稽古をさせてもらった場所なので、思いもひとしおなのだ。

2004年4月12日 (月)

企画を考えるぞ

今日の稽古は夜から。昼間は「熊本おもちゃ屋めぐり」をして、自分にプレゼントを買おうと思っていたのだが、さすがに月曜日は打ち合わせが多く、電話で何軒か打ちあわせているうちに夕方になってしまった。せっかく昨日の夜に地図を見ながらおもちゃ屋リストを作っていたのに、結局いけなかった。うーん残念だ。

で、ちょっと早めに稽古場へ。事務所にはすでに池田さんたちが来ていて今年のスケジュールの相談中。邪魔しないようにしつつも、時々「ボクもスケジュールがあえば参加させてね・・・」とアピールする。

2004年4月11日 (日)

バナナも山ほどもらいました

昼から熊本へ。今日から火曜日まで泊まりで稽古。あとはぽんプラザでの本番を残すだけなので、この3日間が、「熊本で稽古する最後の日々」となる。ちょっとしみじみしながら稽古場へ。

まずは細かい部分の修正をして全員揃ったところで通しへ。で、通しが終わって解散と言うことになったが、ボクとコウスケ(きららの看板役者で今回の主役。こやつが、まだ22歳とは思えないぐらい良い味を出すのだ!)だけ居残りで長ゼリフの稽古。ボクもちょっと気になっていた部分があったので、30分ぐらいみっちり稽古をする。

ようやく満足がいって稽古を終わろうとしたら、不意に事務所の明かりが消えて真っ暗に。池田さん(10日生まれ)とボク(11日生まれ)の合同誕生会が始まった。

あとで聞いてわかったのだが、ボクとコウスケの居残り稽古は「誕生会の準備をするまでのちょっとした時間稼ぎ」だったとのこと。ところが、そうとは知らないボクが真剣に稽古を始めてしまったので、池田さんもその気になって、みんなをずっと待たせていたらしい。

「すぐ始まると思って、ケーキのローソクに火をつけたら、いつまでたっても稽古が終わらないからびっくりしたよ・・・」と笑うきららのみんな。みんなでケーキを食べて、プレゼントをもらって・・・と、こんな本格的なお誕生会は何年ぶりだろう。

ひとしきり騒いで解散したあと、いつも泊まっている場所に戻って明かりをつけたら部屋のテーブルの上に山のようにお菓子が積んであった。冷蔵庫にもプリンなど色々入ってる。どれもボクが好きなモノばかり。

これには感激してしまった(「39歳がお菓子で喜んでいいのか」と言うツッコミは無しね)。

大塚ムネトの不定期日記