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2005年3月

2005年3月31日 (木)

大分・宗像は決定

石川さんとピクニックの堀さんとボクの3人で、ツアーを含む今後の予定を相談。大分、宗像は11月でほぼ決まった。ツアー全体に関してはピクニックが仕切ってくれるので安心して任せられる。

西鉄ホールでのリベンジ公演については、当初「ツアーで増えるかもしれない分」が終わってからにするつもりだったが、もしかしたら来年になってしまうかもしれないので、すでに決まっているツアーに合わせて11月になりそう。

あと3人で相談したのは、「お客様を1万人集める作戦」について。まだ秘密だけど実現に向けて色々計画中。

とりあえず脚本書かなきゃ・・・。

2005年3月30日 (水)

ギンギラ新聞のイラスト打ち合わせ

ジャンジャンでご飯でも食べながらという事に。お店に行くと、天井に雨どいが吊ってあった。ビルの水道管が壊れて水漏れで大変だったらしい。まずはお互いの地震報告から。このところ誰かに会うと、「地震はどうでしたか?」という話からはじまる事が多い。すっかり挨拶代わりになってるなぁ。

今回のギンギラ新聞は「天神改造計画」というネタ。渡辺通りのイラストを中心に構成するので、すでに出来ている文章を庄ちゃんに見せて、絵の内容を決めていく。ボクが思いつくままに次々喋る事を、ほとんど遅れずに絵にしながら聞いている庄ちゃん。

脳みそでひらめくテンポと同じスピードで作業できるなんて羨ましい。

2005年3月29日 (火)

地震の日の警固公園

午後からエージェンシーで打ち合わせ。今日はDVDの販売について。嬉しい事に、お菓子メーカーの中には「店でDVDを売ってもいいよ」と言ってくれているところもあるので、実現に向けて作戦会議。

帰りに警固公園を歩いていたら、地震の日を思い出した。ソラリアステージビルにいたボクらは、警固公園に避難するように指示が出ていたからだ。

その日の警固公園は、不思議な光景だった。公園の敷地内は人であふれていて、いくつもの小さな輪が出来ていた。きっとそれぞれの職場の人たちが不安から寄り添っていたからだと思う。販売員の輪、コックさんの輪、きっとソラリアプラザから逃げてきたであろう「結婚式の途中の方々」の輪。

途方に暮れていた花嫁と花婿の顔。今思うと、きっとボクも同じように途方に暮れた顔をしてたんだろうなぁ。

不謹慎と怒られるかもしれないけど「イラク派兵反対」という垂れ幕を、「ひろげようか、それともやめようか」と悩んでいた平和運動の方々の姿がおかしかった。外国の事より、今は自分たちの地震の方が大変だろうと悩んでたみたい。

あと空が青かったのもやけに印象に残ってる。姿は見えないんだけど、たえずヘリの音が響いていた。で、「雨じゃなくてよかったねぇ・・・新潟みたいに雪だったら本当に大変だったよね・・・天気がよくてよかったねぇ・・・うん、生きててよかったねぇ。」と、何とか「よかった事」を見つけてお互いに励ましあっていたっけ。 

2005年3月28日 (月)

月曜からは仕事モード

さすがに宇宙にばかり行ってはいられない。今日の午前中で原稿を書いて、午後から石川さんと今後について打ち合わせ。そのあとはエージェンシーにてどんたくの打ち合わせ。

働く働く。

月曜はあんみつ姫は休みで、無限塾が劇場で稽古をしている日。ちょっと稽古を覗いたが、殺陣の訓練をみっちりやっていた。いつもながら基礎訓練をしっかりやっている。みんな気合いが入ってるなぁ。4月から稽古に合流するのが楽しみ。

2005年3月27日 (日)

ご褒美到着

半年ぐらい前からネットで予約していた食玩「コナミSFムービーコレクション 宇宙空母ギャラクティカ」が到着。もちろん箱買い10個入り3、000円ナリ。この作品はスターウォーズのヒットを受けて誕生したTVシリーズで、ナイトライダーやエアーウルフを作ったグレン・ラーソンというプロデューサーの作品。このグレンさん、作る番組の基本設定はいいのだが、これがシリーズが始まると「どんどんショボくなっていく」というパターンが多く、このギャラクティカも全体としてはトホホな作品だった。

が、登場するメカはどれもカッコよかった。

今やCGで作る方が多い宇宙船も、当時は色んなプラモのパーツを貼り付けて実際に撮影用の模型を作っていた(使われていたのは日本製のプラモが多く、スターウォーズに登場するメカも同じ手法で作られている)。で、固定した模型の周りをモーションカメラが動いて映像上は宇宙船が進んでいくように見せるという(興味ない人には全然わからないだろうけど、「画面の奥から宇宙船が現れ、だんだん大きくなって横に抜け、船体の側面を舐めるように進んで、最後に船体の後ろの「なんかのエネルギーが吹き出してる噴射口」がアップになって、そのまま小さくなっていく」って映像のことね)・・・・・・いかんいかん、なんか今日の日記はオタクモード全開になっている。ちょっと自粛。

10個の内訳は、ギャラクティカ2、主役戦闘機2、敵戦闘円盤2、敵母船2、敵兵士2と、見事全種類をゲット。ホント見てて惚れ惚れするぐらいデザインが素敵なメカたち。机の一番いい場所にさっそく飾って眺めている。この番組、テーマ曲もいいんだよねぇ。今も聞くとやる気になるもん。

原稿書くのをちょっとサボり、曲にあわせて飛ばして遊ぶ39歳。ええ、もうすぐ40歳ですけど、ほっといて下さい。 

2005年3月26日 (土)

それでも好き

どうも電化製品の調子がおかしい。相変わらずマシン(VAIO)は立ち上げの時に「ブーン」というプロペラのようなファン音を響かせているし、MDウォークマンの録音機能も壊れ再生のみになってしまった。「うぎゃ、これがソニータイマーか!」とビビリつつも、ソニー大好きの哀れなボク。

思えばソニーにひどい目に遭わされるのは、ベータビデオを買って以来何度目だろうか・・・。独自性に惹かれて買って、その独自性ゆえに普及することなく散っていくソニーの戦士たち。

ええ、ボクもずいぶん一緒に散ってきましたよ。

2005年3月25日 (金)

携帯のメールを見直す

パソコンのメールは仕事上必要なので「仕方なく」使っているが、携帯のメールは絶対使うものかと思っていた。だって電話だよ。そもそも「会いに行けよ」ってところを「声だけ」で許してもらうツールでしょ電話は。なのにどうして電話を使って文字を送るわけ?せめて喋れよ!・・・・って思ってたわけ。もう周りからは「考え方が古い人間」とあきれられていたが全然気にしていなかった。

が、今回の地震で考えが変わった。あっと言う間に携帯電話が通じなくなった中、携帯電話のメールだけが利用できたからだ。うん、携帯のメールも役に立つんだなぁ。

2005年3月24日 (木)

奇しくも20日は

水害で一度中止になった嘉穂劇場公演のDVD発売日。その日に地震が来てまた中止になるとは・・・。偶然で片付け切れない不思議な気分。何か理由を見つけようとしてしまう自分がいる。で、21日のお疲れ会でいった「次の伝説の始まりなんだ」というのがボクの解釈。起きた事は変わらないんだし、せめていい方に解釈しないと。

というわけでDVD絶賛発売中。公演中には毎回40枚ぐらい売れていたんだよ!

2005年3月23日 (水)

止まってなんかいられない

午前中は雑誌の対談。深町健二郎さんと「40代について」語り合う。ボクはまだギリギリの39歳だが、雑誌掲載時は40歳になっているので、「40代の先輩深町さんから、40代の心得を聞く」みたいな感じの対談。ライターさんも話しに加わってかなり盛り上がった。いい歳して無茶している(いい意味でだからね)先輩に会うと本当に嬉しい。よしボクも頑張るぞって勇気が湧いてくる。すっかり意気投合して今度飲みに行こうということになった。

午後からは西鉄エージェンシーでどんたくの打ち合わせ。今年も50人のかぶりモノ軍団で行進する事になりそう。あー楽しみ。

石川さんとツアーのことなどを色々相談して、夜は吉本興業の事務所へ。まだ実現するかどうかわからないが「ある企画」を考えてくれと頼まれる。これが決まればかなり面白いことになる。ちょっと頑張って考えてみよう。

今日は一日天神を移動していたが、あちこちに地震の跡が残っていた。ちょっとへこみそうになったが、止まってなんかいられない。無茶するぞー!

2005年3月22日 (火)

余震が続く中

午後からイムズで7月公演の記者発表。3人で揃うのはこれで3回目。ホントそれぞれ忙しいもんね。忙しいと言えば、地震で大変だろう中、10社ぐらいの記者さんが来てくれていた。ありがたいことだ。質問は地震がらみのもあったので、もしかしたら早い段階で載るのかもしれない。

記者発表の後はみんなで打ち合わせ。途中、今日が誕生日とのことで泊君のお祝い会もあった。とまとママとボクが歌ってお祝い。ちょっと濃いよね。

夕方は西鉄ホールで払い戻し手続きの打ち合わせ。何とか今日中にはホームページで案内を出せそう。あとはプレイガイドで買ってくれたお客様に電話でお知らせをするだけ。この作業は明日からすることになっている。

今回中止になった20日と21日の2公演は、真っ先にプレイガイドで売り切れた日だった。800人近いお客様が楽しみにしてくれていたのにと思うと、かなりへこんでしまう。 制作的にも、「2ステ分(単純計算で240万円)」の損失はかなりイタイ。払戻手数料もあるし、果たしてどれぐらい赤字になるのやら・・・。

大塚ムネトの不定期日記