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2008年3月

2008年3月30日 (日)

福岡へ

東京でロケをして、そのまま北海道だったので久々の帰宅。で、さっそくチラシ作業を再開。明日はまた東京に移動なので、ある程度完成形が見えるまで作業を続ける。5月に上演する「さよなら初代0系新幹線 BORN TO RUN」は、2000年の終わりに「さよなら20世紀スペシャル」として3本立てで上演した作品。

上演時間は60分とお蔵出し企画にはピッタリなのだ。

2008年3月29日 (土)

WS発表会

最終日の今日は昼から。ギリギリ昼までに脚本を書き上げる。全部で12ページと予定通り。まずは参加者全員で脚本を読む。その後、キャラ設定、それぞれのセリフのニュアンスなどを、「地元に住んでいるみんな」に確認。セリフの修正をしながら、いくつかの場面を読んでもらって一番ハマる役者を選んでいく。人数が足りなくて、さてどうしようと思っていたらイナダ組の女優さん達が見学に来たので飛び入りで参加してもらう。さすがというか、すぐにこっちの意図を理解してくれる。

たった3日間の取材だったが、すでに参加者の誰よりもボクが北海道に詳しくなっているのが不思議な感じ。なぜ丸井今井をみんながさん付けで呼ぶのかとか、いかに北海道開発に燃えた人々がいたかの話を、「福岡から来たボク」が「北海道のみんな」に熱く語った。「自分の街」のことを知らないのは、どこも同じなのかもしれない。まあ、ボクだってギンギラをはじめるまでは何も知らなかったし。

今回の物語は、福岡の老舗岩田屋が札幌に来て、福岡と似ているところに驚き、この街がたどった歴史を知り、「街を支える方の想いは、どこも一緒なんだ」と刺激を受ける内容。これはボク自身が北海道で感じたことであり、今回の企画「福岡と北海道の演劇人が出会う」と言う企画の象徴でもある。

稽古中に、発表会のあとの「締めくくりシンポ」に出演する福岡側(「飛ぶ劇」泊君、「GIGA」エリカちゃん、「FPAP」高崎君、「ガラパ」川口)が到着。で、急きょ岩田屋役を川口に頼む。川口はギンギラの出演経験もあるし、安心して任せられる。で、ボクは北海道チームにかなり細かく演出をつける。ほとんどいつも通りに稽古をつけた感じ。

そして発表会。短い時間だったけど北海道の物語を作れてとても満足。何より嬉しいのがそれがしっかり地元の参加者と観客に伝わったこと。あと、福岡チームが改めてギンギラの作品力を感じてくれたのも面白かったなぁ。かぶりモノもなく、福岡の人にとっては知らない街の物語なので、客観的に観てくれたんだと思う。

さて困った・・・・。地産地消の野菜として、福岡から楽しく発信することを決めているボクだが、短い間とは言えかなり濃密に北海道の街と関わったことで、北海道のことが気になるのだ。うーん・・・どうしたものか・・・。リーディングのメンバーで北海道版ギンギラをやりたいぐらい燃えているんだけど・・・。

2008年3月28日 (金)

なぜ「さん付け」なのか

札幌の老舗百貨店「丸井今井」は、地元では「丸井さん」と呼ばれている。地元経済を支えてきたことに敬意を払ってのことらしい。実は、この丸井さんと我らが岩田屋さんが、面白いぐらいに境遇が似ている。

どちらも「地域一番店」で「一時、経営危機に陥り」、そこを助けたのが「伊勢丹さん」。その援助のおかげで「再び地域一番店に戻った」・・・ね、そっくりでしょ。さらに札幌も福岡も三越があるので、伊勢丹と三越の経営統合が「さてどう影響するか」と話題になっている。札幌の人気スポットである「駅前」は2011年の新博多駅を思わせるし、「大通り」は天神のよう。

今日は地元シンクタンクの方に会い、ここ2日で一気に取材した札幌について、間違いがないかの確認。その後は図書館の郷土史コーナーへ。見つけた「丸井今井」の社史で泣いてしまった。読むとなぜ「丸井さん」と敬称なのかよーくわかる。開拓時代、戦中、戦後と、道民が苦しいときに必死に支えていたのが「丸井さん」だったのだ。

今日も時間がなくてマックのテイクアウトを事務所で。あーせっかく来たんだから札幌ラーメンが食べたい。食の話だったら真っ先に食べてるんだけどなぁ。

とにかく取材時間が足りない。そりゃそうだよね、ギンギラは「ボクが福岡で育った長年の想い」がこもっているんだから。

WS3日目は、「怒濤の取材」で書いている脚本を6ページ持っていく。全体で20分ぐらいにする予定なので大体半分ぐらいか。

夜はホテルに戻って後半を書き上げる。「丸井さん」だけは、ト書きにも「さん」をつけてしまう。すっかり虜になっている。

WSを企画したコンカリーニョの斉藤さん日記にもギンギラのことが書かれてます。 http://www.concarino.or.jp/theater/dir/blog_chizu.htm

2008年3月27日 (木)

謎が解けていく楽しさ&挑戦する楽しさ

昨日いくつか集めた資料から、まず最初の疑問だった「大丸とJRの微妙な関係について」理由がわかった。JRは京都、名古屋と駅ビル再開発で、一気に街の中心を塗り替えたが、どちらの核テナント百貨店もJRが出資していた。しかし札幌は100%大丸が出資。つまり札幌の大丸は「場所を貸してるおばちゃんビル」みたいなモノなのだ。

あと意外だったのが若者でにぎわっていたロフト。ここはその昔「五番館」と言う地元百貨店で、創業は明治39年(日本最初の百貨店三越が東京に開店したのは明治37年。何とわずか2年後に誕生しているのだ!)。すごい、一番年配の店が若作りしていたとは!全然わからなかった。ああ面白い。

商店街の会長さんに駅から離れていて栄えているわけを聞いたら、昔は市電が集まるところで、そもそも明治時代の開拓の時に商業地として設定されたからとのこと。あとビックリしたのが「札幌だけで雪かきに150億円かかるんだよ」って話。何も残らないことにそんな大金がかかるとは・・・。赤字で苦しむ七隈線を博多まで延長する工事費試算が1600億だったから、10年ちょっとで足りるよね。それが消えるなんて・・・。他にも商店街のこと、会長さんの小さな頃の思い出話など、時間の限り聞き倒す。

その後はナックスが所属する事務所へ挨拶。東京公演では森崎リーダーがアフタートークに来てくれたのでそのお礼など。社長(水曜どうでしょうの大泉さんの相方)と色々内緒話。その後、森崎リーダーとオススメのスープカレーの店へ。リーダーにも街のことをあれこれ取材。

ワークショップ2日目は、街作りを担当している方に来てもらい、WS参加者の前で取材の様子を見せる。終わった後は一緒に飲みに行って引き続き街の話を聞く。

深夜ホテルへ戻り脚本を書き始める。今回の挑戦(楽しみなこと)は2つ。「北海道でどんな物語が出来るのか」と、「かぶりモノも衣裳もない、素の役者が座って脚本を読むだけのリーディング公演で、果たしてどこまで伝わるか」ということ。

2008年3月26日 (水)

取材魂のスイッチが入ってしまった。

午前中はホテルでチラシ作業。予定より進んだので午後から市内探検。札幌市には2ヶ所人気スポットがある。デパートが集まり昔から栄えている「大通り」と、再開発が終わった「JR札幌駅前」。

まずはJR駅前の再開発ビルを歩く。核テナントは大丸で、専門店街とホテル。核テナントのわりには何だか大丸が離れているような気がした。続いて駅前のデパート巡り。駅そばのビックカメラは「元そごうビル」。駅の向かい側にはロフト。さすが若者でにぎわっている。

全ての店を巡り、今度は「大通り」へ移動。駅前通を歩いて約5分ほどのところ。周辺のデパートを全て探検。「駅から離れているのになぜ栄えているのか」とても興味がわく。そのまま雪祭りでお馴染みの大通公園へ。途中にある資料館でざっと歴史をつかみ、市電、地下鉄、バスと全ての交通機関にも乗ってみる。

今日の探検は「チラシが進んだから、ふと思い立っただけ」だったのだが、実際に歩いていたら、札幌に猛烈に興味が湧いてきた。こうなるともう止まらない。札幌ラーメンを食べるのをやめて中央図書館に向かう。目的は「郷土史コーナー」。ところが図書館が休館日。事前に調べなかったのが失敗だったが、まさかここまで気持ちが盛り上がるとは思ってなかったんだから仕方がない。じゃあと街の本屋に行き、郷土史コーナーで「札幌街並み今・昔」と言う写真集と、「札幌の商い」と言う流通史の本を購入。

時間がないのでマックでハンバーガーを買って事務所へ移動。ワークショップ1日目へ。今日は制作の話。

WSを企画したコンカリの人に「予定外の探検でがぜん取材魂が燃え上がってしまったから、ぜひ街の人に話を聞きたい」と頼んで、急きょ聞かせてくれる人を捜してもらう。ボクも先日対談の依頼を受けた九経調の方に電話して「北海道のシンクタンクを紹介して」と頼む。ありがたいことに九経調の方がすぐに動いてくれて、明後日に「北海道21世紀研究所」と言うシンクタンクの部長さんに会えるよう手配してくれた。

夜はホテルでひたすら流通史を頭にたたき込む。明日の昼は「地元商店街の会長さん」に会えることになったので事前に街のことを知っておかなければ。

当たり前だけど、調べてみれば、どの店にも、それぞれの歴史がある。さすが北海道だなと思ったのは、「日本唯一の金物店から生まれたデパート」や「農機具販売店から生まれたデパート」があること。面白いでしょ。

2008年3月25日 (火)

東京から北海道へ

チェックアウトして空港へ。昨日取材した場所なので何だか他ビルじゃない気分。スカイマークで北海道へ移動。着陸してターミナルへ向かうと思ったら、滑走路の端っこで飛行機が止まった。窓から外を見るとバスが2台走ってくる。

「おお、これは!久々の滑走路の端っこに止まってバスで移動」だ!

福岡も最初はそうだった。ターミナルビルには大手がお尻を向けて接続している。まるで「ふん、スカイなんて入れてやらないわよ」と言っているよう。

福岡から直接北海道に向かったピクニック永渕ちゃんと空港で合流し札幌市内へ向かう。JRで約40分の移動の間、5月公演のチラシ打ち合わせなど。コンカリーニョで明日からの打ち合わせをして、近くの居酒屋へ。この店には演劇関係者をよく連れてくるとのこと。イナダさんが待っててくれて一緒に飲む。蟹もおいしかった。それほど寒くないなと思っていたら、「百数十年ぶりの暖かさ」らしい。よかった・・・。

ホテルに戻ってからチラシ作業。

2008年3月24日 (月)

羽田空港探検

今日のロケは空港探検。滑走路で飛行機が離陸するまでの作業を取材し、パイロットの話を聞き、整備場内を見学。世界一大きいエンジンなど、個人では見せてもらえないモノばかり。番組ロケということでどんどん潜入。仕事をしつつ、そのままギンギラの取材にもなったよ。

現場はいいね。支えている方の思いをひしひしと感じることができるし。今日も驚いたり感動したりと大騒ぎだった。で、興奮しすぎてロケが終わった後は一気にへろへろ。ホテルに戻って気がついたら夜中の1時。携帯の着信数に驚く。

ごめんなさい。明日、朝一で電話しますので。

さて、変な時間に起きてしまったので、このまま朝までチラシ作業をやろうかと思う。まずは熱い風呂に入るか。

2008年3月23日 (日)

桜前線と共に

一日中、撮影した写真画像の切り抜き。夜は飛行機で東京へ移動。明日は某番組(4月2日に情報解禁とのことなのでまだ内緒)の東京ロケがあるのだ。機内では同行の石川さんと制作打ち合わせ。秋公演だけでなく今年もいろいろ決まりつつある。

一度仕事をした企業から引き続き依頼が来るのは、「いい結果だったからこそ」なので、とても気持ちがいい。

東京到着後、空港でスタッフとロケの打ち合わせをしてからホテルへ。すぐにチラシの続きを始めたが、さすがに疲れてダウン。

今日、明日と東京で、明後日は北海道に移動しワークショップが始まる。「桜と共に」なんて風流を楽しめればいいんだけど・・。

2008年3月21日 (金)

九経調対談&チラシ撮影&ありがとう長友さん

朝からチラシ制作。夕方からは大名で九経調の対談。80人ぐらいの前で、ギンギラのこと、地元の歴史などについて喋る。会場には九州アジア塾の塾長、四島司さんもいて嬉しすぎて緊張する。四島さんというのは、元シティ銀行頭取の方で戦後九州経済を支えた銀行マン。当時保守的だった銀行家が多い中、「確実に利益が出るところにお金を出すだけじゃだめ。これからの将来性にお金を出すのだ」と次々に新しいことをしかけ、(たとえば今当たり前のATMを最初に福岡に作った)、地元の起業家達の支えになった凄い人なのだ。2007年1月20日の日記でも四島さんとロイヤルを創業した江頭さんのことを書いている。

対談後に開催の懇談会で当時のことを聞いたら、「自分ははみだしとったからなぁ・・」といたずらっ子のようにニコッと笑っていた。これがまた格好いい。ぜひ四島さんの人生そのものを芝居にさせて欲しいと思う。

懇談会には北九州のスーパー丸和の方(スーパーマーケット三国志を観てくれた方はわかると思うけど、流通王といわれた中内さんが弟子入りしていた「日本で最初のスーパー」が丸和なのだ!)、西鉄100年史編纂の方など、こっちから会いに行きたい人がたくさん。それが同じ場所にいて、ボクは大喜び。

それぞれの方から聞く話はどれも面白く、「改めて取材に行きますから」としっかり約束をさせてもらった。八女の老舗酒造「喜多屋」(ここの蒸留技術はすごいのだ!造っているお酒は、日航の国際線で採用されている)の社長さんと会長さんが「いつでも取材に来て下さい」と笑顔で言ってくれていたのがこれまた嬉しかった。

※懇談会でお会いした皆様へ ボクは本当に取材に行きますので、ビックリしないで下さいね。

対談のあとはチラシ撮影。今回は画像を切り取って使うので会場はボクの家。実は今日は朝日新聞長友さんの送別会もあっていたのだが、対談&チラシ撮影で行けず。途中、電話で行けないことをお詫びしつつお礼を言った。

長友さんとギンギラの出会いは、パルコ公演が終わった後取材から。以来、ずっと応援してくれていた。その後のギンギラが色々展開していくところを目撃してくれた方でもある。

長友さん、今度はボクらが「地方公演」で行きますから、その時に。

2008年3月19日 (水)

アーサー・C・クラーク逝く

ボクの中で定番の映画がいくつかある。年末に自分の一年を振り返りつつ見るのが「ガープの世界」。風邪をひいたときに思い切り鼻水を出すために泣きながら見る「火垂るの墓」。他にも色々あるが、昔からテレビを「その時々の自分が買える精一杯の大画面」に買い替えると見るのが、「スターウォーズ」と「2001年宇宙の旅」だった。

中学の頃、「ニュートン」が創刊されて、ちょっとした科学雑誌ブームが起きた。後に続けと旺文社から出た「オムニ」。これにクラークの短編が出ていて、それが最初の出会いだったような。あと「幼年期の終わり」とか。2001年シリーズ、「2010」「2061」。忘れた頃に出た「3001」には「そんな続き方ありなのか?」と、ちょっと違和感も。でも好きだから読むんだけど。数字には弱いけど科学好きな文系のボクは、クラークが描くハードSFの世界にクラクラした。その流れでJ.P.ホーガンにもハマったし(「星を継ぐもの三部作」はハードSFの傑作)。

2001年の映画は難解といわれるけど、映像化の試みとしてはすごくいいと思う。ブラッドベリの「火星年代記」とか酷いもん。まあこっちはミニTVシリ-ズなので仕方ないかもしれないが。

大塚ムネトの不定期日記