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2008年3月21日 (金)

九経調対談&チラシ撮影&ありがとう長友さん

朝からチラシ制作。夕方からは大名で九経調の対談。80人ぐらいの前で、ギンギラのこと、地元の歴史などについて喋る。会場には九州アジア塾の塾長、四島司さんもいて嬉しすぎて緊張する。四島さんというのは、元シティ銀行頭取の方で戦後九州経済を支えた銀行マン。当時保守的だった銀行家が多い中、「確実に利益が出るところにお金を出すだけじゃだめ。これからの将来性にお金を出すのだ」と次々に新しいことをしかけ、(たとえば今当たり前のATMを最初に福岡に作った)、地元の起業家達の支えになった凄い人なのだ。2007年1月20日の日記でも四島さんとロイヤルを創業した江頭さんのことを書いている。

対談後に開催の懇談会で当時のことを聞いたら、「自分ははみだしとったからなぁ・・」といたずらっ子のようにニコッと笑っていた。これがまた格好いい。ぜひ四島さんの人生そのものを芝居にさせて欲しいと思う。

懇談会には北九州のスーパー丸和の方(スーパーマーケット三国志を観てくれた方はわかると思うけど、流通王といわれた中内さんが弟子入りしていた「日本で最初のスーパー」が丸和なのだ!)、西鉄100年史編纂の方など、こっちから会いに行きたい人がたくさん。それが同じ場所にいて、ボクは大喜び。

それぞれの方から聞く話はどれも面白く、「改めて取材に行きますから」としっかり約束をさせてもらった。八女の老舗酒造「喜多屋」(ここの蒸留技術はすごいのだ!造っているお酒は、日航の国際線で採用されている)の社長さんと会長さんが「いつでも取材に来て下さい」と笑顔で言ってくれていたのがこれまた嬉しかった。

※懇談会でお会いした皆様へ ボクは本当に取材に行きますので、ビックリしないで下さいね。

対談のあとはチラシ撮影。今回は画像を切り取って使うので会場はボクの家。実は今日は朝日新聞長友さんの送別会もあっていたのだが、対談&チラシ撮影で行けず。途中、電話で行けないことをお詫びしつつお礼を言った。

長友さんとギンギラの出会いは、パルコ公演が終わった後取材から。以来、ずっと応援してくれていた。その後のギンギラが色々展開していくところを目撃してくれた方でもある。

長友さん、今度はボクらが「地方公演」で行きますから、その時に。

大塚ムネトの不定期日記