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2008年11月

2008年11月30日 (日)

すべては今日のために~44年の歴史に幕

ついに0系新幹線が引退の日が来た。朝のニュースでも各局が取り上げている。NHKでは、ボクの0系乗車とギンギラ公演をあわせた特集を作ってくれた塩澤アナが全国中継で登場。0系のラストランを見送っていた。

今回の公演は、今日という日をはさんで劇場を取れたことからすべてが始まった。

引退の日も大阪までしか走らせてもらえない0系。「東京から全国へのびた記念すべき新幹線が最後に東京に行けないなんて・・・」というやりきれない想いがあったところに、30日に東京の劇場が取れるとわかり、「ならばギンギラが0系として東京を走ってやる!!」と心意気だけで決めた公演。すべては今日走るための公演。

自分が乗った思い出、取材で話を聞いた方々の想い、そのすべてを背負って舞台の上で爆走。昼、夜、共に全力で演じきった。

夜公演のあとはアフタートーク。長年0系の運転士だった中村さんをゲストに開業当時の話を聞く。ボクはもちろん0系新幹線として登場。中村さんは失敗談、支えてきた人々のことなどをいろいろ話してくれた。話の途中で何度も中村さんが「新幹線は生き物だから」と言っていたのが印象に残っている。

そしてトークの締めくくり、ギンギラメンバーが新幹線で登場し中村さんに花束を渡す。受け取った中村さんは、会場のお客様に深々とお辞儀をしたまま動かなかった。その姿を見て、ボクは泣いてしまった。中村さんたちが新幹線、そして昭和という時代を、実直に支えてくれていたんだなと、泣けたのだ。

忘れられない引退セレモニーになった。

終わった後がまた素敵だった。楽屋に戻って中村さんを囲んで思い出話を聞いたのだ。記念撮影をすることになっていたのでボクらは新幹線のまま。椅子に座った中村さんを囲んで新幹線たちが体育座りで話を来ている。新幹線長老を囲む新幹線たち。

この光景にまた泣けた。

消える0系たちのためにボクらギンギラに出来る精一杯のことをやった。現実の新幹線はもう引退だけど、ここ池袋で7日まで走り続けるぞ!演じて千秋楽を迎えたいと思う。

2008年11月29日 (土)

嬉しい再会

今日は昼と夜の2回公演。初日の緊張も解け、役者たちも存分にやってくれた。終わったあとは楽屋に松岡さんご夫妻が来てくれた。奥様はシェイクスピア翻訳・演劇評論家の松岡和子さん。蜷川シェイクスピアの翻訳をされている方。ご主人がYSを製造していたことがきっかけでパルコ公演を観てくれて、翌日にご主人からの熱い気持ちのこもった素敵な手紙をもらい、手紙に感激したボクは、お礼に「YS引退の時会いに行った映像」を送ったりと、なんだか不思議なご縁が出来たのだ。銀河劇場、そして今回と、すべての公演をご夫婦で来てくれている。今日は親戚の方も一緒でみんなで喜んでくれた。これがすごく嬉しくて。

3回目の地方公演。バス軍団の撮影でも「また来たよ!」と声をかけてくれるお客様が増え、こうした嬉しい再会が増えている。

夜はミニドラマの企画打ち合わせ。ホテルに戻って一気にたたき台の脚本を書き翌朝送る。楽しいことは即実行。さて実現するか楽しみ。

2008年11月28日 (金)

「3度目の県外出荷」初日

今回は2種類の作品を持ってきている。0系の物語は、引退にあわせて作ったイベント的な内容(初演の2000年に0系が引退する予定だったのだ。その後継続が決まりついに今年の引退というわけ)。女ビルは、10月に上演した天神開拓史につながる芝居度が高い作品(翼をくださいっ!もこの系列)。かぶり物で擬人化という手法は同じだけど、ボクの中では違うジャンル。それぞれがどう受け止めてもらえるか、今回の「県外出荷」の楽しみなところ。

開場時間のバス軍団で嬉しいのが、「写真を撮ろう」とワクワクしてくれるお客様が増えていること。チラシに「カメラを持って来てね!」と書いていることもあるが、この盛り上がりは、お願いして出来るものじゃない。撮るときにはお客様といろいろ話すのだが「福岡まで開拓史観に行きましたよ」とありがたい言葉もあった。

そして本番。当然の事ながら地元ならではの小ネタに反応は薄い。そりゃそうだ。だってお客様は知らないんだから。が、物語が進むにつれて会場が盛り上がってくる。終わったあとのアンケートで「女ビル」が受け止めてもらえていたのも嬉しかった。

引退の日も大阪までしか走らせてもらえない0系新幹線の分まで、存分に東京で走るぞ! 

2008年11月26日 (水)

おなじみ「スカイマーク&ふくおか会館」

午後2時すぎのスカイマークで東京へ移動。そのまま東池袋のあうるすぽっとへ。駅ではニュース23の取材陣が待ちかまえていて小屋入りを撮影。設備の整った気持ちの良い劇場にみんな喜んでいた。さすが人気の劇場だ。

明日の夜が公開ゲネなので、前倒しして今日の夜からきっかけ確認。

22時で劇場から出て、ギンギラ御用達「ふくおか会館」へ。スカイマークで移動してふくおか会館に宿泊というのがすっかりおなじみ。最寄り駅で降りて、いつものコンビニに寄ってから会館へ向かう。「今年の一月もこうして過ごしていたよね・・・」と、充実しまくりの一年をみんなで振り返る。

2008年11月19日 (水)

「0系に0系で乗車!」必ず現場に行くのだ。

ボクの芝居は「必ず現場に行くこと」から出来上がっている。ギンギラのことを知っている方ならおなじみの話。

よくわかってくれているNHKのディレクターから「引退する0系に乗るところを取材させてください」と頼まれた。これは嬉しかった。だって、自分一人だけでもお別れ取材で乗るつもりだったから。さすがNHKの取材とあって車内では存分に取材をさせてもらった。番組的には大塚ムネトとして登場しているが、取材の合間で着替えて「0系で0系に乗る」もやったよ。

ボクからの提案でさつき幼稚園も番組で取り上げてもらうことにしたので、幼稚園の0系にも再会。今日は一日中、0系と過ごせてしみじみ。博多駅でも、幼稚園でも0系の車体にしっかり手を当て「東京で存分に走ってくるから・・・・」と話しかけた。

2008年11月18日 (火)

新春対談

西鉄広報誌での新春対談が決まった。今日は本社で打ち合わせ。せっかく100周年記念の天神開拓史が終わったばかりなので、芝居の最初に登場した「紙与呉服店」で対談することに。渡辺通りの生みの親だし、衣装も「紋付き袴」と正月らしくて良いと思う。

しかし、こういう企画があるといつも悩んでしまうのが「自分の服装」。基本ジャージなボクなので、じつは今回の対談も「ジャージでもいいです」と事前打ち合わせは進んでいた。さすがにこれにはボクが「待ってください」と、紙与呉服店を提案したというわけ。

20代後半、テレビの仕事をしていた頃からずっと「短パン(ただし膝下までの丈があるやつ)」が基本スタイルだったが、さすがにこれはなぁ・・。

12月公演が終わったらいろいろなスタイルを楽しんでみようと思っている。

2008年11月17日 (月)

ギンギララジオ&ニュース23

天神開拓使を振り返る番組をフリーウェーブで作ることになった。今日はピクニックで担当Dと打ち合わせ。メンバーはボク、タクジ、制作の永渕ちゃんと担当D。ボクは構成だけ関わって番組はタクジと役者たちに任せることにしている。

夕方からTBSニュース23の取材。まずはギンギラ倉庫でインタビュー。その後、稽古場に移動して稽古風景の撮影。あとは東京での公開ゲネを撮影する予定。11月30日に向けて取材の依頼がたくさん入っている。

2000年の初演時、実は0系は年末で引退といわれていた。でもそれほど大きなニュースになることもなく、引退が今年まで延びることが決まったときも小さな記事が出ていただけだった。だから11月30日の引退も、もしかしたら人知れず消えていくのかと心配していた。

こうして0系の最後がきちんと話題になっていているのでホッとしている。

2008年11月15日 (土)

「女ビルの一生」

今回おまけとして「女ビルの一生」も同時上演する。さすが女優陣は「BORN TO  RUN」だけでも大変だろうに、「女ビル」のセリフもほぼバッチリ。ギンギラ古株女優陣は頼りになる・・・おっと古株は余計か。

「女ビル」もいくつかバージョンがあり、今回は一番短い1999年の初演バージョンを上演する予定。もっとも地元度が高い作品だが、さてどんな反応だろう。楽しみだ。

2008年11月14日 (金)

新潟三越が新潟伊勢丹に!

伊勢丹と三越の統合により店舗が再編成が進んでいるが、今日の西日本新聞の記事には驚いた。なんと新潟にあった三越が伊勢丹に変わったのだ!さらに衝撃だったのは、記事の締めくくりに、「福岡三越を岩田屋と統合するかは未定」とあったこと。

「福岡は変えません」ではなくて「未定」ということは、深読みすると「変わるかも」ということだろうか?もし仮に統合と言うことになったら・・・・巡り巡って「岩田屋がターミナルに復活」なんてことが起こるかも・・・。

今後福岡三越はどうなるんだろうか。旧本館へのパルコ進出も気になるけど、三越の今後に注目している。

2008年11月11日 (火)

しんかんせんの幼稚園

西区の幼稚園では、初代0系新幹線の車両を保育室として再利用している。素敵な話なので、是非東京公演のパンフで紹介しようと言うことになった。で、今日はこの0系新幹線の撮影。新幹線の車内は座席が取り外されて、両側には絵本で一杯の本棚が並んでいる。楽しそうに過ごしている子供たちを見て、「もう走ることはないけど、子供たちにとってはこれからもずっと夢の超特急なんだなぁ」と、嬉しくなった。

なんと、運転席はほぼ当時のまま(!)なので記念に席に座らせてもらう。これには大興奮。子供たちの歓声を聞きながら運転士気分を味わった。

大塚ムネトの不定期日記