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2009年8月 1日 (土)

漂流画祭とあとの祭り

今回のイベントは、予算、各人のスケジュールなど、「やりたい気持ちはあるけれど・・」という感じで、なかなか実現出来ず、じつは、何度も中止になりかけていた。そんな時に、「たとえ、どんな厳しい状況でもやるよ」と言ってくれたのが、非売れの田坂君ときららの池田さんだった。そして、「会場はウチを使えばいい」と協力を申し出てくれたのが大博多ホールだった。チラシの作成、HPの立ち上げは非売れのメンバーが、自分たちの本公演前にもかかわらず、ボランティアで頑張ってくれた。

何と言っても嬉しかったのは、中村君、田坂君、池田さんが「マヤさんのために新作」を 書いてくれたこと。参加した演劇人、関係者も、全て気持ち(つまりボランティアで)集まってくれたメンバーだった。

入場料も、最低限必要な経費に全て使われ利益もない。効率的でないからこそ、何度も中止になりかけた企画で、ただひたすら「マヤさんが喜んでくれる事をやろう」と言う気持ちだけで集まったメンバーによる、心意気の企画だった。

せめて、画祭の出会いが、それぞれの今後の活動に刺激になってくれればいいのだけれど。

しかし、実現出来て本当によかった。マヤさんの訃報を突然聞いて、どうにも気持ちの整理がつかないままだったが、どうすることも出来なかった想いを、こうしてたくさんの人と共有し、偲ぶことで、いまさらだけど、「マヤさんと別れのひととき」を過ごせたような・・そんな気がしている。あとの祭りで、マンドリンの演奏を聞きながら、「そうか、このイベントは、マヤさんのことをたくさんの方に知ってもらうということだけでなく、持って行き場のなかった想いを浄化させてくれたんだなぁ」と。

マンドリン演奏中に、後ろの窓に大濠の花火が見えたのも印象に残っている。画祭で大騒ぎをしたあと、偶然による「音楽と花火のコラボ」という美しい締めくくりに、ボクは思わず泣けてしまった。

あの瞬間、会場全体でしみじみと過ごせたように思う。出演者、そして観客として参加してくれた皆様、ありがとうございました。 

大塚ムネトの不定期日記