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2009年12月

2009年12月20日 (日)

燐光群アフタートーク

イムズで上演の「ハシムラ東郷」でアフタートーク。博多座で川上音二郎の芝居を準備しているので、同じ明治だからと声がかかったのだ。なので明治の世相や音二郎のことを中心に話す。

今から10年ぐらい前、ある宴会であった坂手さんに「東京で公演したらいいのに」と進められたことがあった。そのときは東京で上演なんて思ってもいなくて、地震という思わぬきっかけで今に至っているので、こうして対談するのが何とも感慨深い。

それと、先日亡くなった江頭光さんのことも話した。ボクが音二郎のことを詳しく知り、いつか芝居にしたいと思うようになったきっかけは、江頭光さんの「博多 川上音二郎」と言う本だった。地元福岡の歴史を語った本を多数執筆されていて、ギンギラとしてもずいぶん影響を受けた方。会場で「是非みなさんも本を読んでください」とお願いした。

というわけで、年末のBS2でのインタビューですでに発表済みだけど、来年の12月に博多座で音二郎の芝居を上演する。脚本は長谷川先生との合作。県の文化賞をもらったあとの記念対談で先生に「一緒にやりませんか」と提案したのがきっかけ。

来年は音二郎100回忌、そして再来年は生誕100年。いつものごとく「時間差3年計画」で準備をしてきた計画が、いよいよ実現する。

2009年12月19日 (土)

博多座演劇講座

今日は14時から博多座のリハーサル室で約2時間の演劇講座。150人ぐらいのお客様の前でギンギラのことを語る。まずはざっとギンギラの成り立ちと「歌舞伎がお手本」と言うことを喋って、映像で「女ビルの一生」を鑑賞。笑ったり泣いたりと会場の反応も良い感じ。

「女ビルの一生」は20分ぐらいの短編だが、歌舞伎がお手本の部分、泣けるところ、おバカなところなど、「ギンギラで追求している世界観」がギュッと凝縮されていて、初めての方からファンの方までしっかり喜んでもらえる。

上映が終わったあとは休憩を入れて、後半は脚本取材中の写真をプロジェクターで紹介しながら脚本作りの裏話など。最後の質問コーナーもたくさんの方から質問があり、予定より30分ぐらい長くなってしまったが、とても楽しく過ごさせてもらった。

ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

2009年12月18日 (金)

ベストCM撮影

朝から空港近くのスタジオへ。昨日の夜から急に冷えて今朝は雪。昨日で撮影が終わって良かったとホッとする。今日の撮影はすべて室内なので心配なし。と、今日は監督じゃないので何も心配しなくて良いのだが、昨日までずっと監督として過ごしていたので、出演者側なのがなんとも変な感じ。

CMは大晦日から正月3日間放送とのこと。気合いを入れて作ったベストのかぶりモノをとにかく観てほしい。

2009年12月17日 (木)

今日も順調

小倉での撮影は昼で終了。小倉城そばのお食事どころでゆっくり昼ご飯を食べて福岡局へ戻る。あとは合成場面用に役者の演技を3シーン撮るだけ。合成用の明かりセッティングを待っている間に、中村タクジの回想場面用ナレを録音。

合成シーンのメインは、「お城の天守閣に登って地デジアンテナを取り付ける」と言う場面。これを、古き良き特撮時代劇風(赤影とか)に撮影するのだ。実際の場所では危ないし、そもそも許可が出ないので、「平台で組んだ仮の屋根部分での芝居」「屋根」「天守閣のしゃちほこ」「青空」とバラバラに撮った素材を合成して、やっと1つの場面が完成。

短い作品だけど、かなり手間をかけて本格的に作っている。

本格的と言えば、今回のナレーション。なんと、NHK大河ドラマ「風林火山」の語りだった加賀美幸子さんが読んでくれるのだ!奥行きのある優しい声が大好きで、ダメもとでお願いしたところ、快くOKをしてくれて、わざわざ収録のために福岡まで来てくれることになった。

お会いできるうれしさと、監督としてお願いする緊張感でテンションがあがっている。

2009年12月16日 (水)

いよいよ地デジ侍撮影!楽しい監督生活

撮影は今日と明日の2日間。明日の天気が悪いとの予報を受けてスケジュールを組み替え明日予定していた外の場面から撮影開始。まずは、主役の中村タクジとエキストラのテレビ侍たちの場面から。

カメラマンは、今年の地域ドラマを撮った方。元々ドキュメンタリー出身とのことで臨機応変にやってくれるのがありがたい。一瞬太陽が出た瞬間に「日が出てきた!城の外観を撮るチャンスだ!」と言うと、すぐに対応して、ボクと一緒に走って撮影ポジションに移動してくれる。

外を撮っている間に、室内シーンを撮影する書院では、照明さんがボクの発注した照明を準備と、スケジュールも無駄なくバッチリ。

午前中で120秒版のラストシーンを撮り終えて、午後から書院での撮影。まずはテレビ家老が、廊下を駆けてくる場面から。これは「ひかり侍」以来、ボクの時代劇ではお約束の場面。かけてくる家老役はギンギラのアッキー。アッキーはボクが監督した3作すべてで「あわてる家老」を演じている、いわば、あわて演技のベテラン。だから、「早すぎず、遅すぎず、さらに床をバタバタ鳴らしながら走る」と言う、むちゃくちゃ難しい注文も慣れたモノ。

次のカットは殿の間。10人のテレビ家来たちが殿に詰め寄る場面。大河ドラマ風に、カメラが廊下から部屋にパンし詰め寄る家来の後ろ姿まで撮って、切り返しで家来たち正面の画。そのまま「殿から観た同じ方向の画」をまとめて撮影し、照明を組み替えたあと、「家来側からの画」をまとめて撮る。方向が変わるたびに照明を組み替えるのは大変なので同じ方向の画をまとめて撮って効率よく進めるのだ。

きっちり絵コンテで決めている画を撮りながら、カメラマンの提案でさらに良い画があればどんどん取り入れる。この辺の進め方はボクの舞台での作り方「脚本、演出できっちり作りつつ、スタッフ、役者の提案大歓迎」というのと同じ。共同作業が楽しいのだ。

あとボクの特徴は「早撮り」なこと。最初の1回目でOKならそれで十分なので、すぐ次のカットの準備をする。もちろん納得がいかないときはかなり粘るが、OKならすぐに終わる。おかげで今日の撮影は順調に進み、明日までかかるはずだったエキストラ君たちの場面も今日で終了した。

制作費も節約する良い監督でしょ。

2009年12月14日 (月)

かぶりモノ作りは続く

午前中NHKでCGの打ち合わせ。せっかく映像を作れるので、今回も合成やCGなどてんこ盛りにしているのだ。あー楽しみ。

昼からはかぶりモノ製作。ソウタと2人でひたすらテレビを作る。ある程度めどがついてからはテレビをソウタに任せて、ボクはベスト電器本店を作る。これが難しくて・・・。ふつうのかぶりモノは「ビルの正面に顔」があるのだが、ベスト電器本店の場合は、「ビルを斜めに見上げた姿」が正面なので、顔を出す部分が斜めになっているのだ。「ひよこ」「震電」に負けないぐらい、基本の造形に苦労。さらに、細かい部分まで、これでもかと作り込む。

頑張った甲斐あって「怪獣映画に使われるアップ用ミニチュア」ぐらい精密なやつが出来たよ。久々に造形魂を込めまくったかぶりモノ。

正月に折り込まれるベスト電器の広告写真にも登場するとのこと。

2009年12月11日 (金)

西日本新聞で地元演劇界の振り返り記事

マヤさんを追悼して開催した「漂流画祭」のことを温かく取り上げてもらって嬉しかった。

みんなが手弁当で集まり、忙しいさなか時間をやりくりしてくれて、やっと実現にこぎつけた公演。ただひたすらに「マヤさんが喜ぶことをやろう、マヤさんのことを語り継いでいこう」という想いだけの企画。

この記事を読んで、改めて振り返ることが出来た。感謝。

2009年12月10日 (木)

新潟へ

今年からポンキッキに加わった「がーまるちょば」との企画が進んでいる。年内に観たいと調整して、今日の新潟公演を観ることになった。が、公演会場に着くまでが大変だった。まず飛行機で大阪の伊丹空港、乗り継いで新潟空港。空港からJR新潟駅までバス。新潟駅から新幹線で30分。さらに在来線に乗り換えて10分。そこからタクシーで15分。乗り継ぎの待ち時間もあり、昼前に家を出て、劇場に着いたのは開演直前の夜7時。こんなに苦労してステージを観たのは、人生で2回目の体験だ(ちなみに一回目は20歳の時、ブルース・スプリングスティーン初来日公演のチケットを取るべく横浜駅のプレイガイドに2日徹夜で並んだこと)。

サイレントコメディと題された公演。果たして言葉を使わずにどう2時間を構成するんだろうかと興味津々だったが、遅刻してきたお客様と絡む「つかみ」から始まり、パントマイムのおもしろさを存分に堪能した。後半1時間は、2人だけでたくさんのキャラを演じ分ける映画風のストーリーで、これまたお見事。

終わったあとは打ち上げに参加し芝居のことをいろいろ話す。新潟と言えばすっかり日本酒にはまっているので、ちょっと酔っぱらってしまった。

2009年12月 9日 (水)

ギンギラ忘年会

午後から博多座で開催の演劇講座について、そのあとピクニックで来年の企画についてと、打ち合わせが続く。夜はギンギラ忘年会。本来なら「今年もお疲れでした」となるんだろうけど、ギンギラの場合は、「まだまだ年末までみんな忙しいぞー!」「おー!」みたいな、なんだかうちいりのような感じだった。

明日は朝から新潟に行くので一次会で退散。

2009年12月 8日 (火)

ベスト電器の初売りCM(これも放送も終わったので更新)

NHKの地デジ侍、さらにはベスト電器の正月CMと、12月のギンギラは大忙しだった。年末から正月までかなり放送されていたのでみんなビックリしたとと思う。

ベストのCMについては、関係者にギンギラファンがいたことがきっかけで決まった。かなりバタバタなスケジュールだったが、地元で生まれたベストのCMとあってボクらも大喜び。無理くりスケジュールを調整し、なんと「地デジ侍の撮影翌日にCM撮影」というギリギリのスケジュールが決まった。かぶりモノも、地デジ侍用のテレビ作りで大変だが、頑張ってベスト本店も作ることに。しかし、こういう忙しさなら大歓迎。 

大塚ムネトの不定期日記