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2010年1月

2010年1月31日 (日)

音二郎脚本

いつものように先生のアトリエで脚本作業。先生が長年取材して集めた膨大な資料をひろげながら、史実を物語に置き換えていく作業。2人でみっちり話し合いながら、人物像を作っていく。

途中昼飯で外に出た以外は、アトリエでみっちり脚本作業。今日もあっという間に夜になってしまった。

明治時代を、資料と取材メモを頼りに旅してく「知的冒険」が楽しい。

・・・でも、翌日にちょっと熱が出るんだよなぁ。知恵熱?オーバーヒート?でも楽し。

2010年1月27日 (水)

立体グッズ制作開始!

ギンギラオリジナルグッズの打ち合わせ。念願の立体造形物を作るのだ!知りあいのトイショップと企画をし、中国の食玩工場に発注する本格的なやつ。まずは小物からスタートして、ゆくゆくは・・・。夏の地元公演までに間に合わせたいと思っている。

昔、ドーム時代に、イラストのマジンガードームを立体化した事を思い出す。この時は全てがボクの手作り(!)だった。一人で立体化の全行程・・・「原型作り」「シリコンで型どり」「樹脂の流し込み」「組み立て」「着色」と、今思うと信じられないぐらい時間をかけて、何とか公演までに30個ぐらいを製品化した。

お楽しみコーナーでお客様にプレゼントしたが、今でも持っていてくれてるのかなぁ・・・。あと手を上下に振る「テケテケぶらぶらくん」なんて超レアグッズも作ったなぁ・・・。

2010年1月22日 (金)

バスのふるさと西日本車体工業

西鉄の子会社で、西鉄バスの車体を作っていた西日本車体工業が8月で会社を解散するらしい。西日本新聞の記事によると「受注の95%を占めていた日産ディーゼルが、三菱ふそうトラック・バスと事業統合が決まり、西日本車体工業への生産委託が終わるから」とのこと。

この西日本車体工業の歴史をひもとくと、戦争中に福岡で作られていた幻の戦闘機「震電」につながっていく。震電というのは、本土防衛のために作られていた戦闘機で、結局完成せずに終戦を迎えた。この震電を作っていた九州飛行機の技術者が、戦後、西日本車体工業に入って西鉄バスを作るのである。

去年の夏に福岡市美術館で上演した「幻の翼 震電」を、会社がある北九州で上演したくなったよ。

取材でお世話になった方々の顔が浮かんでくる。一台ずつ手作りで仕上げていくバスの事を丁寧に説明をしてくれた方、開発中のバスシートを2脚並べて「どっちが座りやすいか」一生懸命座り比べていた方・・・。バスを愛する方々の情熱で一杯の会社だった。 

2010年1月20日 (水)

JAL更生手続きへ

ついにこの日が来たかという感じ。「翼をくださいっ!」で描いているように、JALにも戦後の苦難の歴史があった。それを乗り越えて「日本の翼」として飛んでいたのだが・・・。日本エアシステムと一緒になった時、こうなるような気はしていたんだよねぇ・・・。

いずれ「翼」の続編を作ろうと思っていたけど、展開によっては作品化するタイミングが早くなるかも。早いと言っても、すでに決まっている予定があるので再来年ぐらいかな。

2010年1月19日 (火)

PC復活

修理見積の結果、電源部分の交換だけでOKと分かり、そのまま修理を頼んでいたマシンが戻ってきた。正直ホッとしている。今の自分の仕事には、このマシンで十分。何と言っても手に馴染んでいるし。

やれビスタだの、7だのって次々新型が出て・・・OSを売りつけておいてサービスを終わるなんて・・。「そっちの都合を押しつけるなよ!換えるタイミングは自分で決めるんだから!」と言いたいよ。

2010年1月16日 (土)

ヒゲ全力疾走

天神のショッパーズ前のバス停でバスに乗り遅れた。見るとバスはすぐ先の赤信号で止まっている。次のバス停は天神コア前。

「うん、これは走れば間に合うぞ」と、瞬間的判断、猛ダッシュで地下街へ走り込んだ。バスが信号待ちをしている間に、信号がない地下街を走って、先に天神コアを目指すのだ。地下を歩いている人にぶつからないよう避けながらのダッシュ。

福ビル前の階段から地上に出ると、今まさにバス停に到着というタイミング。「よし」と小さな声を出しながら目当てのバスに乗り込んだよ。乗り遅れたバスを追いかけて次のバス停で乗るなんて、高校の時以来。

しかし、いい年してダッシュをするなんて、自分でもどうしたことだろう。乗り遅れたときは本屋に行って時間調整するのがいつもの事なのに。

バスの中で「ハーハー」と荒く息をしながら、「そうか、脚本作業が続いていて体を動かしていない反動だな」と納得。

たまには全力で走るのもいいね。

2010年1月14日 (木)

ベスト電器社長退任&今年の予定その2

ベスト電器の苦戦が続いている。地元を代表する家電店だし、ボクらがCMに登場した直後でもあるので他人事とは思えない。

スーパーマーケット三国志でも描いたように、日本で最初に家電の安売りに挑戦したのがベスト電器(創業当時は、九州機材倉庫)だった。「安売りをするな」と圧力をかける大手メーカーにひるまず、「お客様のために安売りするんだ」と戦ったベスト電器。ついには日本一と天下を取った時期もあったわけだが・・・。

実は、今年の夏に「家電戦争」を上演するべく準備を進めているので、去年の年末にCM依頼が来たときも、本来なら撮影中なのでと断るところを「ちょうど来年、家電戦争を上演するし、これは面白い」と無理から引き受けたところだった・・・・と、2日連続で何げに今年の予定を発表したりして。

2010年1月13日 (水)

4月地方公演チラシ打ち合わせ

ピクニック事務所でチラシ打ち合わせ。庄ちゃんに発注していたイラストが、とっても素敵に仕上がっている。全体のイメージ、文字レイアウトなどをデザイナーさんと細かく相談。

今年のギンギラは4月の地方公演から始まる。

詳しくは2月初旬にHPで発表するのでお楽しみに!アンケートに住所を書いてくれているお客様には先行予約の案内を送りますので(DMの発送は2月5日を予定)。

2010年1月11日 (月)

パルコ開業!

旧岩田屋本館は、天神が発展するキッカケとなった、いわば天神の象徴。もちろんギンギラの代表的人気キャラの一つ。

小さい頃から家族でワクワク出かけた「思い出の場所だった旧本館」を、思い入れがあるからこそ、ギンギラの代表作「天神開拓史」では自分が演じている。だから、長年空きビルだったのが辛かった。

そこにパルコの進出が決まり、そしてついに「3月19日に開業」と発表された。6年ぶりに、あのビルに灯がともる。

西方沖地震で公演中止になりへこんでいたボクらに、「ウチの劇場で悔しさをぶつけて」と声をかけてくれた恩人がパルコ劇場だった。それがキッカケで、思ってもいなかった全国展開も始まった。

ギンギラの大切なキャラだったビルに、ギンギラの恩人ビルのパルコが進出なのだ。 

2010年1月 9日 (土)

修理すべきか買うべきか

正月そうそうPCの電源が入らなくなってしまった。年末にハードディスクがおかしくなり、その時は自分で交換してホッとしていたのだが、まさか連続で故障とは!

2002年に購入して8年目。周りには「普通は4,5年で買い換えないと・・」とさんざん言われているが、馴染んだものをずっと使いたい性格なので、「まだ役立つモノをお払い箱にする」というのが、どうしても出来ないのだ。修理が出来るのならば、ずっと使いたいんだけどなぁ。

ただ、今回も「諸々の締切が重なる中での故障」なので(だいたい壊れるのは、過酷に使い倒しているときだしね)、さすがにダメージが大きくて・・・。今のところはモバイルPCで切り抜けているが、モバイルの処理能力ではチラシ作業が出来ないので困っている。

修理に出して見積をもらい、あまりにも費用がかかるなら・・・ついに買い直すかな。仕方がないよね。「マシンのために出来る作業は自分で」と思い、メモリー増設、異音がするファンの交換、PC環境の移動を含めてのHDの交換と、精一杯愛情を注いできたんだけど・・・。

果たしてデスクトップPCの運命は。

大塚ムネトの不定期日記