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2010年9月16日 (木)

12月博多座音二郎、初顔合わせ

キャスト。スタッフが集合しての初顔合わせ。ついにこの日が来た。

音二郎との出会いは、江頭光さんが書かれた「博多 川上音二郎」という本だった。博多出身で、世界を相手に演劇で挑んだ人がいたことを知りとても嬉しくなり、「明治という大きく変わる時代にも全力でぶつかった姿」に、同じ演劇人として、ずいぶん励まされた。

そして、いつか芝居にしたいと。

この本との出会いが10年前。来年が没100年という事はわかっていたから、具体的な準備は5年ぐらい前からスタート。そして準備の過程で、長谷川法世先生が音二郎の研究をしていることを知る。僕は思った「うーん、先生の力を借りれないかなぁ・・・」。

先生と知り合うキッカケを探していたある日、県の文化賞をもらうことになり、先生も受賞と聞き、しかも式の当日にはお客様を集めた対談も予定されていることがわかり、「よし、たくさんのお客様の前で共同作業をお願いすれば、断られないだろう・・」と公開協力依頼をする。ちょっとあざとい方法だが、きっと音二郎さんも味方をしてくれるはずと、思い切ってお願いし、「一緒にやりましょう」と言ってもらえたのが、今から3年前。

なぜ音二郎さんが味方をしてくれると思ったかというと、授賞式が、音二郎さんの命日、11月11日だったから。これは、音さんが「行け」と言っているに違いないと。

命日が授賞式だったのは、きっと必然だったんだと僕は思っている。

こうして始まった脚本作り。最初の一年は、まず長年研究されてきた「先生の音二郎への想い」を僕が一方的に聞くことからだった。最初は知らないことばかりで、必死にメモをとりながらの、まるで、「先生からのボールを受け続けるキャッチャー」のような感じ。先生から渡された本を全て読み、自分でも新たな資料を探し出しという作業が続いた。2年目になり、僕もずいぶん先生にボールを投げ返せるようになって、いよいよプロット作りがスタート。そして3年目に具体的な脚本作り。今に至っている。

今回の芝居では、面白おかしく描かれがちな、川上音二郎を、地元の方にきちんと知って欲しいというのが一番の願い。もちろん、僕としては長年作ってきた「エンターテインメント性」も大切にしたいので、史実と、楽しさの両立に戦っている。

これまでは脚本作業と言うことで先生と2人での戦いだったけど、これからは、キャスト、スタッフも力を合わせた「良い芝居にする戦い」が始まる。

今日の顔合わせで、心強いメンバーがそろったよ!

大塚ムネトの不定期日記