本番終了&出番が少ない理由&でも大満足
「奪われた手紙」は、演出だけでなく、途中から脚本にも参加することになった。ギンギラ新作の時と同じで、ボクは「演出家・脚本家モード」がメインとなり、いつものように「役者の自分」に貧乏くじを引かせてしまった。でも、仕方がない。
新作の演出時は「出ている場合じゃ無い」と思うし、脚本家としては「自分より、他の出演者の演じ甲斐」を優先してしまう。結果、自分の見せ場を他のキャラに合体させ、全体の尺を考えて減らすのは自分の出番となってしまうのだ・・・。やはりというか、今回も「役者の自分」に一番しわよせが行ってしまった。
と言う訳で、新作上演時は「役者の自分がちょっとしか出ていない事」にモヤモヤしてしまう。決めた自分に対して、自分が文句を言うみたいな。だが、今回に関しては、出番が少ないことよりも「演出家・脚本家としての満足」の方が大きい。
書き加えた後半に向けて、それぞれのキャラが背景を持った上で、存分に暴れてくれているし、ラストの流れも納得している。
特に気に入っているのは、座長が演じている「大山」というキャラの生き様。戦争の負の部分を背負ったキャラで、大山の物語に「どうケリをつけるか」ずいぶん悩んだ。新しい時代を前に去っていく流れは決めていたが、「どう去っていくか」が重要。因果応報で最後に酷い目にあう大山になんと言わせるか。さらに、物語全体についても「ドラマとして締めくくりつつ、答えを出さない答え」を目指した。
かなり難しい命題だったが、目標通りに脚本が完成。難しい大山というキャラも、座長が存分にやってくれた。だから、演出家・脚本家として大満足なのだ。
まあ、不完全燃焼な役者のボクには、「来年のギンギラで暴れるようにするから」と説得中。