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2005年7月

2005年7月31日 (日)

玄関のアイツ

家の玄関に、「網を張ろうと執念を燃やしている茶色の小さなクモ」がいる事を以前書いたが、相変わらず朝家を出ようとすると、ちょうど顔の当たりに糸が張られている。さすがにこっちも慣れてきたので、まず手ではらってから玄関を出るようになった。

で、あんまり毎日続くので、「諦めないでよく続くなぁ。うん、なかなか根性のある奴だ」と、最近は感心していたのだが、どういうわけか、ある日を境に糸を張らなくなってしまった。

「あれ?遂に諦めたのかな」と気になったので、このクモの巣穴をのぞいてみたら(玄関チャイムの横にある隙間に昼は潜んでいるのだ。え?どうやって見たかって、そりゃぁボクには「小さな穴を覗けるイヤースコープ」という強力アイテムがありますもん)、な、なんと真っ白で腹の大きな違うクモが入り込んでいる。

茶色のアイツは、どうやら縄張り争いに負けてしまったらしい。

どうしよう・・・きっとボクが網を張るのを邪魔したからに違いない。うーん・・・とりあえず、ウチの玄関で弱肉強食を繰り広げるのはやめてくれないかなぁ。

2005年7月30日 (土)

パルコ打ち合わせ

昨日から引き続きピクニックの事務所で制作ミーティング。去年の嘉穂公演から博多歌舞伎に制作協力を頼んでいるが、パルコ公演からは、さらにピクニックも制作に参加してくれることになったので、全体での意思統一。ここ数年の課題だった「制作面の強化」がいよいよ実現。

夜はチラシの打ち合わせ。3月にチラシを送ったお客様に出すDMなので、表のデザインをシンプルにした「第2弾」的なチラシを作ることに。

2005年7月29日 (金)

今年も電車祭りでイベント決定

昼から打ち合わせ。今年も筑紫車両基地でミニライブをやることに決まった。これで3年連続と言うことになるが、毎年たくさんの子供たちが来てくれて、芝居も食い入るように観てくれるのでとてもやりがいがある。

打ち合わせの後は天神のauショップへ。そう、遂に携帯電話の機種変更を決意したのだ。長年愛用していたカシオC-303だったが、老バッテリーに電気を蓄える力は残って無く、1日中充電しても5分で切れるありさまで、「長話のときにはコンセントにつながないと使えない」という、違う意味での有線電話に変わり果てていたのだ。

もう「携帯」とは言えない電話になってしまった以上、機種変更やむなしだったのだが、昨日も書いたように「気に入ったモノしか手にしたくない」ので、なかなか欲しい機種が出なくて困っていた。そんなとき、カシオから久しぶりに同じシリーズの新型が出ると聞いて、ようやく変更の決意をしたというわけ。

長年使っていたので機種変更代はタダだった。もちろん、愛用していたC-303は記念にもらったよ。

2005年7月28日 (木)

デザイン最優先

使っていたプリンターが壊れてしまったので、ネットで新しいプリンターを色々みてたら、hpのオンラインショップで「9千円台の複合機(スキャナとプリンタが合体してるやつね)」を発見。こりゃどうなってるんだ?昔、プリンタの修理をしたときは1万以上かかったのに、複合機が修理代より安いとは・・・。

安さを追求するためだろうけど、シンプルなデザインもいい。流線型だのなんだのと、曲線くねくねマシンが苦手なボクとしては、もう言うことなし。即購入してしまった。ローコストマシンなので今までより性能は落ちるが、「気に入ったモノしか手にしたくない」ので、かまわない。

2005年7月27日 (水)

DVD化着々と(トムとジェリーの話)

今日も一日原稿書き。と、これだけでは切なくなってくるのでトムとジェリーのDVD化作業もしている。煮詰まったらトムとジェリーというわけ。今日は全部で14本あるテープの6巻目を見ながら作業。作業は「1,マシンのハードディスクにテープ全てを収録」「2,つなぎ録りのノイズ、カットしきれていなかったCM部分を抜いたバージョンを編集」「3,DVDに焼く」という行程。メニュー画面には、各エピソードのタイトル画面がでるようにして、ちゃんとDVDの最後には終わりの歌をつけて出来上がり。かなり凝ってるよ。

6巻目のテープには、大好きな「へんてこなオペラ(1952年製作)」が録画されていた。これってテックス・エイヴリー作品の中でも傑作との評価が高い作品(あと「呪いの黒猫(1949年製作)」もね)。唯一発売されていた海外版のLDが廃盤となり、今や見ることが出来ない作品なので大喜び。

このテックス・エイブリーはワーナーでバックス・バーニーの原型を作り、その後MGMに移ってからの作品が、「トムとジェリーの真ん中に放送されたエピソード」として日本でも紹介されている。だから、名前は知らなくても作品を見たことがある人は多いと思う。彼のMGM時代最後の作品、スパイクが刑務所からスプーンで一杯ずつ土を掘って逃げ出そうとする「逃げてはみたけれど(1955年製作)」まで名作揃いだった。

ちなみに「逃げてはみたけれど」は、主人公スパイクが20年かけてスプーンで土を掘り、45兆5712億2112万6332杯目でやっと脱出に成功するが、ここからが彼の試練の始まりだった・・・というお話。たった7分ちょっとの間に、これでもかとギャグが詰め込まれ、思いもよらないストーリーが展開する。これを作ったテックス・エイヴリーは天才だ。

2005年7月26日 (火)

自販機戦争

今日の「ガイアの夜明け」は自販機業界の内幕。現在、全国で282万台の自販機があり、そのうちコカコーラの自販機が86万台を占め、残りを各メーカーがしのぎを削っていると言う状況らしい。過当競争を乗り切るべく、各メーカーが考えるあの手この手を紹介していた。

たとえば、人通りの少ない小道に何故かズラリと並ぶ自販機。狙いは近くにあるビル工事の現場作業員。ボクの父親が建築業だったのでよくわかるが、現場では、朝の始業前、10時頃、昼飯時、午後3時、終業後と、少なくとも5回はホッとする時間がある。そのたびに売れるんだから、そりゃ儲かるよなぁ。これは期間限定で利益を上げるかなり割り切った作戦。

たとえばタクシーの休憩所にある自販機。タクシーは冷房がきついので、夏でも「体が冷えた運転手のため」にホットコーヒーを用意しているとのこと。で、見事これが売れている。

ほかにも番組では、100円自販機などの価格破壊の様子や、メーカーの枠を超え売れ線の商品を集めた「合体自販機」を展開する新たなビジネスなどを紹介していた。僕らが払う120円のために、こんなにも熱い戦いが繰り広げられているのだ。

毎週欠かさず見ているが、いつもながらこの番組は面白い。

2005年7月25日 (月)

壱岐へ

西鉄電車広報誌コンパスの取材で壱岐へ。島に展示されている路面電車を訪ねて「なぜ線路もない壱岐に電車があるのか?」を探る旅。さてどうしてだと思う?この答えがわかる人はかなりの福岡の歴史に詳しい人。

では答えを。「壱岐は、福岡で最初にチンチン電車を走らせた、松永安左ェ門の生まれた場所だから」。この松永さんが、今の西鉄の前身である福博鉄道を造った人なのだ。で、その生家跡に記念館があり、そこに電車が展示されているというわけ。当時はまだ電気も普及していないため、電力会社と鉄道会社は一心同体のようなところがあった。この松永さんは福岡で電気会社を初めて、なんと福岡を足がかりに大阪東京まで進出したすごい人なのだ。

第2次大戦前は、命の危険を顧みず中央経済界で戦争反対を唱え、それが通らないと全ての役職を捨てて山にこもって隠遁生活をし、戦後は電力業界の再興に命をかけて「電力の鬼」と呼ばれた人。もう書ききれないぐらいの偉業を成し遂げた人なのだ。

と言うわけで、ギンギラ新聞の文字数に収まるはずもなく、ちょっと途方に暮れている。

2005年7月24日 (日)

30年後か・・・

咳が止まらない。芝居が続いているので喉がへばってるようだ。本番中は気合いで乗り切っているが、終わった途端に激しく咳き込んでいる。これが終わったら8月のイベント以外はないので、しばらく喉を休めなければ。今日の2回で公演は終了。打ち上げはアクティブの事務所にある稽古場。

前も書いたが、高校生から年配の方まで幅広い層が参加しているので、打ち上げはまるで田舎の宴会のよう。それぞれの世代でワイワイ盛り上がっている。ボクはベテラン役者チームと演技の話に熱中する。それぞれが経験してきたこと、目指していることを聞くと、「全然違う立ち位置」と思っていた方と考えていることが意外と近いことがわかった。これは発見だった。やはり変な先入観や、縄張り意識は捨てて交流した方がいいんだなぁ。

50代、70代でバリバリ現役の役者さん。東京や大阪では当たり前だろうが、自分の身近でそういう方が楽しそうに芝居をしているのを見ると、なんだか勇気が湧いてくる。70歳まで後30年。ボクはどうなっているだろうか。それなりの貫禄はついていてほしいが、出来れば「バカだなぁ」と笑ってしまうような事もやり続けている自分でありたい。

2005年7月22日 (金)

初日

アクティブハカタはタレント事務所なので、下は小学生から年配の方まで所属している。だから楽屋は現役高校生からおばあちゃんまで様々。演技の経験が少ない人もいるが、そこは「リアルな存在感」で、何とか役に近づこうとしている。

伊集院さんとしては、芝居も本格的にやっていきたいとの事だったので、演技の経験を積んでいくこれからが楽しみ。

「ボクは役者として呼ばれているんだから役割を果たさなくては」と気合いを入れて本番へ。

2005年7月21日 (木)

「坊っちゃん」仕込み

昼から会場の大博多ホールへ。会場では舞台転換の段取りを決めているところだった。ギンギラの場合、嘉穂劇場で初めて本格的にセットを作ったが、それ以外はほとんどセットがないので、こうしてしっかりと場面ごとにセットがある舞台はとても興味深い。教室や屋敷など、どのセットも「それらしく見えるように」強調と省略がうまく表現されている。

高校時代、初めてテアトルハカタの芝居を観たとき、まず作り込まれたセットに驚いたのを思い出した。アクティブの伊集院さんは、ずっと野尻先生と芝居を作っていた方なので、そのこだわりは受け継がれているんだろうなぁ。

大塚ムネトの不定期日記